初代県庁館案内

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玄関げんかん

この初代県庁館は、1868(慶応4)年5月23日兵庫県誕生とともに県庁が置かれた、元の兵庫勤番所ひょうごきんばんしょの建物を復元したものです。
この地の歴史は1580(天正8)年に織田おだ信長のぶながの家臣池田恒興いけだ つねおきによって築かれた兵庫城ひょうごじょうに始まります。
兵庫城は花熊城はなくまじょうの部材を用いて築いたといわれ、北は湊町みなとまちにある湊口惣門跡みなとぐちそうもんあとから、西は兵庫駅の東にある柳原惣門跡やなぎはらそうもんあとを通り、真光寺しんこうじ近くまでの、およそ750間(約1.5キロ)続く外堀そとぼり土塁どるいに囲まれていました。
信長亡き後、兵庫津は豊臣秀吉とよとみひでよしが直接支配し、江戸時代に尼崎藩領あまがさきはんりょうとなり、内堀うちぼりに囲まれた本丸跡に陣屋じんやが置かれました。
その後1769(明和6)年に幕府による直接支配になると規模を縮小して大坂町奉行所おおさかまちぶぎょうしょ管轄かんかつの兵庫勤番所となりました。